『ブルーバレンタイン』


ブログにお越しいただきありがとうございます。
スカイハイプロダクション 高橋です。
現在の時刻は午前2:10、日付は3/11になりました。
あの震災から1年…
何とも感慨深いです…
政府や行政、大手マスコミなどなど不満を言いだしたら永遠に語れるんじゃないか、
というくらいの不満。

『この国はもうダメなんじゃないだろうか?』

と最近は思ってしまいます。
しかし今までのように誰かに(安易に)託して任せていたシステムから、これからは
自分たちが積極的に参加して責任をもったシステムにしていくことが、必要だと思います。
”不満を言ったり、誰かを責めたりしても、取り返しのつかないこと”がありますので。

さて、今回は以前からプックアップだけはしていて中身がまだだった案件、
映画『ブルーバレンタイン』の感想にお付き合いいただこうかと。

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【ストーリー】

仕事が芳しくないディーンと、長年の勉強の末に資格を取り、病院で忙しく働くシンディの夫婦は、
娘のフランキーと3人暮らし。2人はお互いに相手に不満を抱えていたが、それを口に出せば平和な
日常が崩れてしまうことを恐れていた……。夢や希望にあふれていた過去と現在を交錯させ、2人の
愛の変遷を描くラブストーリー。主演はライアン・ゴズリングと、本作で第83回米アカデミー主演
女優賞にノミネートされたミシェル・ウィリアムズ。

【キャスト・スタッフ】

キャスト: ライアン・ゴズリング、ミシェル・ウィリアムズ、フェイス・ウラディカ
監督・脚本:デレク・シアンフランス
脚本:   ジョーイ・カーティス、カミ・デラビーン
映画.comより引用

【感想】
本作は所謂”倦怠期夫婦モノ”としてとらえられるかもしれない。
しかしその演出が”おぞましくて”大抵の夫婦は直視できない息苦しさに襲われるのではないだろうか。
というのも、”上昇志向ゼロ”というより”それに”興味ない”亭主ディーンと
”上昇志向の”妻シンディ、ふたりの出逢いから結婚までの”ラブラブ期間”と現在の倦怠期が
交互に織り交ぜて進んでいく。
その演出のコントラストが実に痛々しくて”おぞましい”のだ。
そもそもこのふたりが結婚してしまうということが、”終わりの始まり”だと僕は思う。
妻のシンディーはとても保守的で厳格な父の古風な家庭に育っている。
そして同居している祖母からは、

『あんな旦那と結婚したのは間違いだった。あなたはきちんとした人と結婚しないさい』

とか、母の作った夕飯に父は

『こんな不味いものが食べられるか!』

などと言って母を罵る。
こんな家庭に育ったのだ。
そんな反動からなのか、シンディーは自分の存在価値を失い、自分の存在を求められることに
飢えたのだろう多くの男と肉体関係を持ち、その空虚さを埋めようとした。
そして祖母が老人ホームに入院し、そこに御見舞いに来ているときに、未来の亭主である
ディーンと出逢う。
この出逢いの時点からディーンは非日常的な存在なのだ。
そしてその非日常はシンディーが逃避したい非日常として充分機能しただろうと推測できる。
更に肉体関係にも至った。
この間シンディーは同級生の彼と付き合っているのだが、避妊をしない彼の自己中心的なセックスに
よって妊娠してしまう。勿論彼は中絶させたい。
この件も彼女が彼にさえ大事に扱われていない、という認識をもち絶望する描写として写る。
シンディーはディーンに妊娠を打ち明けるのだが、
(ここは本作のディーンのキャラクターを最も明確に描いている点だと僕は思われる)
ディーンは”一度も”『オレの子か?』とは訊かないのだ。
しかしそのディーンのジレンマは歩き去っていくシンディーのボケていく背景でフェンスを
ガシャガシャとやりながら葛藤の演技をしていることから”痛いほど”伝わってくる。
そしてディーンの出した答えは、

『結婚しよう』

なのだ。

もう、ここはディーンを抱きしめたいほどだった。

ディーンという男はこういう男なのだ。
甲斐性はまるでないけれども、人としてプリミティブで失ってはいけない部分については
深く考えているひと。
歪んだ家庭環境で育って、一時的に非現実へのエスケープを求めただけの(客観的に見れば)
タイミングで結婚にまで”至ってしまった”悲劇。
シンディーは一時的なエスケープであって、ニュートラルな状態に戻ってしまえば、やはり優等生な
わけだし、上昇志向なわけだし、社会と積極的に関わりながらステップアップしたい性格なのだ。
更に言うと、そのステップアップによって自分の存在意義を確かめたいのだ。
だから相手にもそうであってほしい、求めてしまう。
しかしディーンはそれには興味ない。

そもそも無理なはなしなのだ…

だから出逢ったときから”終わりの始まり”なのである。

本作の描いているものは、フィクションだけれどもかなりリアリティーのあるものだと思う。

最近は邦画でよくある”特殊な状況下で出逢ったり、恋が成就する”的なものがあるが、
あれに憧れている若者は多いと聞く。
その状況はかなり悪い兆候だ。
悲劇のヒーロー、ヒロインを一時的には演じて気持ちよいかもしれないが、結婚とはロングラン
なものである。

”終わりなき日常”を”だれと”、”どういなしながら”営んでいくか?

これから僕の周りで結婚するひとがいたら、この映画を観る事を薦める事が決まった。
リアリティーもあり、エンターテインメントもある本作『ブルーバレンタイン』は

間違いなく傑作だ。

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